情報システムの開発プロジェクトにおいて、標準を強要される側になった人々の言葉をいくつか紹介します。
「ソフトウェアの製造は、真っ白なカンバスの上に、自由に絵を描くようなものだ。創造性を発揮する場を取り上げないでほしい」
「成熟していない標準を受け入れることは、個別のプロジェクトにとってそれほど良いROIを提供してくれるわけではない。むしろ仕事が増えるだけだ」
「要するに、出来上がった情報システムがきちんと機能すれば良いわけで、今までの自分流で何が悪い。自分が確実に出来ると思える方法を選びたい」
「以前も標準化すると言って一生懸命取り組んだが、結局は成功しなかったではないか」
「標準を使えと言われても、ほんとうに業界で標準化されたものではない。我々にその技術を使わせたい側の商売のネタに振り回されているだけではないか」
「外部から見た機能はユーザの要求にあわせているのだから、せめてソフトウェアの造り方ぐらい自分流でやらせてほしい」
「その標準は、特に業界標準というわけでもなく、最先端の技術というわけでもない。技術者としては、はやりの技術・つぶしのきく技術を習得したい」
私もソフトウェアを造ったことがあるので、標準化によって自由が束縛されるような気持ちは、理解できます。こういった意見が出る理由は、標準化が成功したとして、そのうれしさを享受するのが、自分たちではないと思ってしまうからでしょうね。
確かに、そのプロジェクトで直接的な「うれしさ」を感じることは少ないかもしれません。しかし、長期的な視野で見れば、結局はうれしいことがあると思いたいです。
さて、標準化を歓迎する声もあります。
「今まで場当たり的に手順と成果物を決めていたが、それではいつまでたっても進歩が無い」
「個人別にやり方が違っていては、整合性をとる作業で手間取る」
「採用する標準が業界全体で採用されれば、それを身につけた自分のスキルが評価されるし、他のシステムとつなぐときもやりやすい」
などです。
結局のところ、人によって受け取り方がさまざまなのですが、新しいことを実行するためには、多くの人々が気持ちよく協力できる雰囲気をつくりたいものです。

























