現実の世界に、それ自身独立して、確固たる存在としての「出来事」や「もの」があるのでしょうか。
認識は主体と客体の関係性によって決まります。そして、同じ主体、同じ客体であっても、見る視点が変われば、異なった様相として認識することがあるのです。
今回は、対象を「もの」と「出来事」に、明確に区別できることもあるができないこともある、というお話です。
「出来事」は、「○○する」と言える対象です。製造する、販売する、請求する、契約するなどは、「○○する」と言えるので「出来事」です。
「もの」は、「○○する」を詳らかに記述するために必要な「だれ」「なに」「どこ」「いつ」などです。それ以外にも「何かにもとづいて」「何々のルールに従って」といった規則・ルールも「もの」に分類されます。あるいは「何かを分類・区分する観点」も「もの」に分類されます。
ところで、私は、以前こんなことを日記に書きました。
実世界に存在する「もの」は、他の「もの」から独立して、何の関係もなく存在するわけではありません。 仮に、今この瞬間、時間が止まってしまえば、そこにある「もの」はそれ以後、何の変化もなく存在するでしょう。 しかし、実際には時間の経過とともに、そこにある「もの」は別の「もの」にぶつかって壊れたり・融合したりします。つまり、何らかの出来事が発生して「もの」と「もの」が関係づけられるのです。 従って、「関係」は「出来事」である。
これに対して、ある人が次のように反論しました。
「出来事」と思えない「関係」だってあるでしょう。今、「この机のうえにコップがある」と言えば、これは机とコップの「関係」を表現しているが「出来事」ではありません。
私は、この意見に対して次のように言いました。
机やコップが生まれた瞬間からその「関係」が存在したのでしょうか?その「関係」は、誰かがコップを机に置いたという「出来事」によって生まれたのです。確かにあなたは机にコップが置かれたあとでこの部屋に入ってきてそれを認識した。したがって、それを「出来事」でない「関係」のように認識することも可能でしょう。しかし、その「関係」が生まれた本質は、やはり机にコップを置くという「出来事」だったのです。
この会話でわかることは、
「関係(の発生)」は確かに「出来事」であるが、時間がたてば静的な状態(「もの」的に)認識される。
ということです。
さて、本題に戻ります。
契約は、「契約する」と言えるので「出来事」です。しかし、契約にもとづき発生する「出来事たち」から見れば、契約は一定の規則・ビジネスルールとして「もの」の性質を示します。
通信業における電話の契約は、契約時点は「契約する」という「出来事」ですが、その後3年、5年と毎月の回線利用、課金、請求、入金、が発生します。そして、これらの「出来事」を扱う人々から見れば契約はビジネスを行う上で従わなければならない規則すなわち「もの」に見えます。
契約は「出来事」と「もの」両方の性質をもつ対象です。対象を観測する組織の役割や時間軸の違いが根底にあり、視点が微妙に異なるために、両方の性質を帯びる管理対象です。
エンティティの分類には6種類あることを以前ご紹介しましたが、詳しく表現する場合「契約」という分類も必要となることがあるでしょう。

























